2009年06月26日

クルド人自治区の問題

イラク北部の都市キルクークには巨大な油田があるために、サッダーム・フセイン政権の下、トルコ人、クルド人が追い出された経緯を持つ。2003年4月の第2週頃、アメリカ軍のキルクークへの進攻に伴いイラク人は町を離れ、周辺都市からクルド人が来訪、略奪を繰り返すようになった。トルコは自国のクルド人が独立国家を設立しようとする可能性について懸念を抱いており、キルクークがクルド人自治区となること(ひいては原油関連事業の資金がクルド人の手に渡ること)に反対していた。アメリカ政府もトルコ政府のこの方針に賛成し、クルド人自治区はほとんど現状維持という形となった。

しかしながら、当然のこととしてクルド人の独立志向がそれで止むと言うことにはならず、キルクークやモスルでペシュメルガによるアラブ人やトルクメン人、アッシリア人に対する民族浄化が多く報告される他、2006年9月にはクルド民主党党首であり、自治区議長を務めるマスード・バルザニが自治区でのイラク国旗使用を廃し、クルド旗の掲揚を命じる議長令を発布する等事実上の独立に向けた動きを加速させている。

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こうした中、2007年3月末にはクルド人のキルクーク帰還と入植アラブ人の帰郷を進める法律にマリキ首相が署名した。

しかし、入植アラブ人の帰郷が強制的な追放ではなく当人の任意とされたことに同法案をキルクークのクルド自治区編入と、対アラブ人民族浄化の総仕上げと位置づけるクルド側は強く反発しており、またアラブ人側もシーア派主体の同市においてマフディー軍が躍進するなど強い抵抗の構えを見せている。

また、同市の民族紛争においてはアルカーイダを始めとするスンニ派の武装組織がマフディー軍に協力を与えているとの報道もあった。この様な民族間、宗派間の綱引きの結果、2008年現在未だにキルクークの帰属に関する投票は行われていない。

2009年06月10日

喘息発作のマネジメント

喘息発作は時に、意識障害、死亡することもある緊急事態である。リリーバーによって改善がみられないため救急部に受診するというのが典型的である。初期治療としては酸素投与とリリーバー投与となるが、呼吸困難、喘鳴の原因が心疾患など喘息発作以外の可能性があるために注意が必要である。喘息発作の程度は呼吸困難はあるが横になれ動ける小発作、呼吸困難で横になれないが動ける中発作、呼吸困難で動けない大発作に分類される。

これらのリスクファクターがある患者はより慎重な治療が求められる。

ステロイド薬の全身投与中または中止したばかりである。
過去一年間に喘息発作による入院または救急外来受診した。
喘息発作で気管内挿管や人工呼吸管理を必要とした。
短時間作用性β2刺激薬を月に2本以上と過剰使用している。
鎮静薬を使用している。
喘息の治療計画に従わない。

喘息発作の治療 [編集]
初期治療
まずは初期治療として酸素投与、および吸入β2刺激薬の投与を行う。サルブタモール(サルタノールインヘラー)2吸入、20分毎3回やプロカテロール(メプチンエアー他)2吸入、20分毎3回を行い、酸素飽和度が92%以上になるようにコントロールする。MDIによってうまく吸入できない高齢者や重度の気流制限を認められる場合はネブライザーを用いて吸入を行う。サルブタモール吸入液(ベネトリン他)0.3?0.5ml(1.5?2.5mg)を生理食塩水2mlと混ぜて吸入を行うことが多い。サルブタモールと生理食塩水の量、比に関しては十分量の吸入がされていれば治療効果に差はないとされており、ネブライザーの形状にあった量とすることが重要である。ネブライザーでも
ボディビルディング
芸術
原子力工学
グラフィックデザイン
楽譜
インダストリアルデザイン
太陽系
マラソン
風水
北海道
肥満
インディアカ
核医学
ゴルフ
性行為感染症
ポリマー
デング熱
電子工学
色素性乾皮症
農業工学


MDIと同様、20分毎3回の吸入を行い、少しでも効果が見られたら2時間まで20分毎の吸入を繰り返してよいとされている。初期治療で改善が認められない場合や中等度以上の発作、あるいは窒息死のリスクファクターがある場合はさらにステロイドの点滴を追加する。メチルプレドニゾロン(ソルメドロール他)40mgを生理食塩水50mlに融解し30分の点滴投与やヒドロコルチゾン(ソルコーテフ他)200mgを生理食塩水50mlに融解し30分の点滴投与を行う。これらはコハク酸エステル型のステロイド剤であるためNSAIDsにて喘息が誘発される場合や鼻疾患の合併がある場合はベタメタゾン注(リンデロン他)4?6mgやデキサメタゾン注(デカドロン他)6mgに変更した方が安全である(経口ステロイドではこのようなことは注意する必要はない)。ステロイド投与を行い2時間経過しても改善が認められない場合は入院の適応になる。十分な効果が得られず、呼吸困難が持続する場合はエピネフリン(ボスミン)0.3mgの皮下注を行う。同剤の適応は45歳以下で、高血圧、虚血性心疾患、不整脈、頻脈がない場合である。20分毎に反復投与を行ってよいが血圧、脈拍、動機、振戦に注意が必要である。心拍数を130bpm以下に保つために心電図モニタリングが必要である。エピネフリンを使用する症例では気管挿管が必要となる場合もあるため、準備を行う。なお、エピネフリンは子宮動脈の収縮作用があるため妊婦の場合はテルブタリン(ブリカニール他)0.2mgの皮下注に変更する。オプションとして経気道的な気管支拡張薬投与が不可能な場合はテオフィリン製剤の点滴を考慮する。アミノフィリン6mg/kgを5%ブドウ糖液250mlで希釈し半量を15分で残りを45分で点滴静注するのが一般的である。
後療法
発作が中等度以上であった場合は経口プレドニゾロン15mgを一日二回5日分ほど処方し、近日中に専門医やかかりつけ医の受診を促す。MDIが十分に残っていることを確認する。発作が中等度でも1時間以内に改善した場合は帰宅可能であるが、軽度でも窒息死のリスクファクターがある場合は入院治療が必要である。
気管内挿管の適応
初期治療を行ったにもかかわらず、呼吸減弱、呼吸停止や意識障害が認められたり、酸素投与下でもPaO2が50Torr以下やPaCO2が50Torr以上やpHが7.25以下、不整脈の頻発の場合は気管内挿管を行い、入院治療を行う。
入院の適応
入院が必要な場合としては、中等度以上の発作であり、気管支拡張薬やステロイド全身投与にもかかわらず2時間経過しても反応がない場合や治療後でも酸素飽和度90%以下の低酸素状態が継続する場合、治療後もPEF値が60%未満の場合や、窒息死のハイリスクグループである場合などがあげられる。入院では酸素療法の継続、気管支拡張薬吸入の継続(サルブタモール吸入液の吸入を4時間毎、20分以上あけて追加投与可能)、その他メチルプレゾニドロン60mgを1日3回ほど点滴静注する。テオフィリン製剤を用いる場合もある。喘息の治療に影響を与える因子としては感染症、鼻炎、副鼻腔炎、アレルギー性鼻炎、鼻ポリープ、GERD、薬物(βブロッカーやACEI)、アレルギー、喫煙、声帯機能不全(夜間に症状がないのに早朝急に嗄声などの症状が出現する)をはじめとする心因性疾患などがありこれらも可能な限り治療を行っていく。コントローラーのステップアップにて症状が安定し、他疾患の除外ができれば退院となる。

2009年06月07日

出国命令と退去強制との関係

出国命令対象者(対象の範囲については出国命令を参照のこと)は、第1次的には出国命令手続で出国することとなる。もっとも、出国期限内に出国しなかった場合、出国命令の際に付された条件に違反したため出国命令を取り消された場合には、退去強制手続によることになる。

一方、退去強制手続の途中で出国命令対象者であることが判明した場合には、出国命令手続に移行する(47条2項、48条7項、49条5項、55条の3)。

退去強制の手続は、違反調査→収容→審査→口頭審理→異議の申出→退去強制令書の発付→退去強制令書の執行の流れで行われる

入国警備官が、容疑者に退去強制事由に該当すると疑うに足りる相当な理由があり、またその外国人が出国命令対象者に該当しない場合には、主任審査官に収容令書の発付を請求する。主任審査官がこれを認めて収容令書を発付した場合、入国警備官は、容疑者に収容令書を示して容疑者を収容場等に収容することができる。収容の期間は30日以内であるが、やむを得ない事由があるときには30日を限り延長することができる。

実務上は、退去強制事由に該当する場合であっても、帰国の意思をもって自ら地方入国管理局等へ出頭し、自力で帰国できる見込みがある者に対しては、入管法違反以外に犯罪の嫌疑がなければ、身柄の拘束は行わず在宅での取調べとなることも多い。
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入国警備官は、容疑者の収容後48時間以内に、調書及び証拠物とともに,当該容疑者を入国審査官に引き渡す。引渡しを受けた入国審査官は、受け取った調書及び証拠物を精査し、容疑者から事情を聴取するなどして、容疑者が退去強制事由に該当するかについて審査を行う。審査の結果、退去強制事由がないと認定された場合には、直ちに容疑者は放免される。出国命令対象者であると認定された場合には出国命令手続に移行し、容疑者は出国命令を受けたら直ちに放免される。容疑者が退去強制対象者に該当すると認定された場合には、その旨と口頭審理を受ける権利を告知される。容疑者が認定に服した場合には、主任審査官により退去強制令書が発付される。

2009年04月24日

西欧人の町

租界は当初西欧人の町であったが、太平天国の乱を経て中国情勢が不安定になると多くの中国人が上海に流入するようになり、辛亥革命を終え、軍閥が内戦を始めると更に人が集まるようになっていった。

租界の取り決めを行った条約では中国人犯罪者は中国政府に引き渡すはずであるが、上海には中国中央政府の施政権がほとんど届かないに等しく、このために上海は中国人にとって法の抜け穴として機能し始める。特に政治犯の引渡しは行われないことが大半であったため、中国人の中には結社を組む者や現政権に対する革命勢力を組織する者も現れた。中には青幇のような暴力的、利己主義的な組織も結成されるようになった。また、これらの結社の中から国家主義的な思想を持つものが流行しだした。国家主義的な運動は反英的な活動から始まり、第一次世界大戦で日本が中国政府に21ヶ条の要求を行うと反日的な運動へと代わって行った。

上海では外国から訪れる人間にパスポートは不要であった。このため、ロシア革命後に国を失った白系ロシア人が上海に多く流入し、住み着くようになった。更にアロー号事件やその後中国が行った条約によって治外法権を得たドイツ、イタリア、日本などの列強の人々もこの町に住むようになった。様々な人の流入と共に上海は勢いを増して豊かになり始めた。これらの外国人によって上海に多様な文化を与えられ、複雑な都市模様を描いていった。

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上海租界は治安は悪かったものの、人々の自由は保障されていた。租界は治外法権とは言え工部局が強力な警察組織も持っていた。さらに上海の法は外国人に有利に作られていた。しかし、殺人などは中国人以外の外国人も(その裁量が不公平であっても)取り締まられることに変わりはなかった。このため内乱が続き略奪などが横行しており法も警察もないにひとしい中国内部よりは治安はよかった。

さらに、当時中国の軍閥が行っていたような思想の取締りのようなこともなく、大抵のことを考え、発言するのは自由であった。しかしながら、租界全体をみると麻薬や売春といった行為が禁止されていたわけではない。むしろこれらの行為は見過ごされることがおおかった。この地域の利権を持った外国人に迷惑がかからないのであれば当然のように"自由"が与えられた。このような混沌とした自由は様々な人間を受け入れた。上海では旧来の時代の中国の一般常識に囚われない生活形式の変化が起こり、上海から中国へ影響を与えていった。魯迅も上海で暮らした。

香港上海銀行を中心に発展した上海の金融業はアジア金融の中心となり、銀行、金融は活発化し商社なども増えていった。商社は長江を経て内陸から流れ込む富を栄養にして莫大な富を生んだ。内陸から運ばれる様々な食料品を使い、上海を訪れた様々な国の人間が多種多様な料理店を並べるようになっていった。とくに多様な茶を楽しめる茶館は有名である。また、そこに住む豊かな人々の消費を見込みショッピングモールや百貨店のような大型販売店も増えていった。自由な発想が出来た風潮はおおくの思想誌を生むようになった。また映画産業を発展させるきっかけにもなった。一方で法規制の緩さは阿片窟、売春宿、カジノなどの商売が行われる土台になり、裏の社会が築かれていった。上海ギャング青幇の親分格である黄金栄、杜月笙、張嘯林の三人の名は上海では有名であり、彼らは地域の裏の顔役のようになっていた。青幇はおおっぴらに売春宿や阿片窟を営み阿片の流通を支配した。さらに行政に裏から手を回していたためこれらの行為が取り締まれることもなかった。この土台が更に国内外の犯罪者やわけありの人々を呼び寄せ、再起の為に一旗挙げようとやってくる者も多かった。

娯楽が豊富にあったためにこの街に一度訪れたいと思うような魅力を作り出した。成功した者は黄浦江のバンドに現代的な建物を立て、最新の消費文明を享受した。豊かになるに従ってさらに多くの外国人が訪れるようになった。流入したのは外国人だけではなく、多くの中国人も仕事を求めて流入し始めた。安い中国人労働力を求めて多くの工場も建てられた。多くの人によって産み出された莫大な富は上海に摩天楼を築き上げた。

このような境遇を求める人が多くいる一方で成功しない人間は非常に多く、失敗した人々は貧しいものだった。上海の法は外国人に有利に作られていたため、貧しい人間には中国人が多かった。多くの貧しい労働者は労働条件の悪い仕事に付き、非常に狭い部屋に住み、麻薬や売春などの行為に手を染めるものも多かった。これらの劣悪な労働用件は労働運動を加速させた。

ともあれ、こうして上海は極東一の大都市になり黄金期を迎えることになった。最盛期には150万人を超える人間が狭い租界の中に暮らした。人口密度は世界でも最大に達していた。また、上海はこのような独特の背景から魔都とも呼ばれるようになった。

なお、日本では上海北部の虹口地区を日本租界とよんだが、虹口は共同租界の中で日本人居留者が多いだけで正式に日本の租界ではなかった(zh)。虹口(ほんきゅ)地区はその後、日本軍が第二次世界大戦中にナチス・ドイツの迫害から上海に逃れてきたユダヤ人の避難民(1万8000人程)を隔離するのにも使われた。

2009年04月22日

砂漠化

砂漠化(さばくか)とは、植生に覆われた土地が不毛地になっていく現象をいう。ここでいう砂漠は「植物の生育や農業に適さない土地」といった意味が強く、乾燥した地域を意味する砂漠気候の「砂漠」とは意味にずれがある。もっとも、植生を失った土地が植物の蒸散作用を失うことで結果として乾燥した気候に傾くということはあり得ることである。

乾燥帯の移動など気候の変化による自然現象としての砂漠化もあるが、今日問題となっている砂漠化の多くは人類の活動が原因となる人為的な行為によって引き起こされたものであり、地球温暖化が原因ではないと思われる。しかし、逆に砂漠化は気候変化の原因ともなる。また、土壌など地表の構造が崩れるなどの原因となることから、植生の復活が困難になる例が多い。

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砂漠化のプロセスは砂漠化が進行している地域によってそれぞれ異なるが、主なものとして土壌流出、塩性化、飛砂がある。

土壌流出
有機物などの養分を含み農作物が育つことのできる土壌が雨や洪水などにより流出すること。インドや中東、黄土高原などで見られる。
塩性化
土壌中における塩類濃度が上昇し、植物が育成できなくなること。
概要としては、地下水が灌漑や地下水位の上昇などによって地表面にくみ上げられることによって、水分が地表面から蒸散し塩類だけが残る。
塩性化の進行した地面はコンクリートに近く、農作業が困難になることも相まって塩性化の進行した土地は捨てられることが多い。アラル海周辺などで見られる。
飛砂
周辺にあった砂丘から砂漠ではない地域に砂が流れ込むことにより砂漠の一部としてしまうこと。オーストラリアで顕著だが研究も進んでいる。

砂漠化した地域とその原因
中東、特にメソポタミア(現在のイラク)は、農業が始められた最初の文明が起きた地域と言われている。ここは緑に豊かで土壌が肥えていたが、過度な農業活動により土壌が渇れていったことと、河の上流にあった森林の伐採によって上流に降った雨が一気に河に流れ込むことにより洪水が発生し、下流の表土を流し去った。

また、灌漑により水を農地に流しこまれたことで表土に塩分が蓄積された。同時に上流からアルカリ性の土砂が流れ込むことにより植物の成育には向かなくなった。

同様のプロセスはインダス河流域でも起きている。インダス河流域に発達したインダス文明は、メソポタミア文明(シュメール)との交流が強く、同様の農業活動を行なったと思われる。森林は焼き煉瓦を作るために伐採された。

インドでは、特にアショカ大王の時代に焼き煉瓦を使った建設が盛んになり、結果的として森林の大規模な伐採が行われた。現在では、多くの地域では当時の地層に含まれる有機物の量がほとんどゼロに近い。

南アメリカ、オセアニアなどの熱帯雨林では、伝統的に焼畑農業が行なわれてきた。これは、熱帯の痩せた土地を開墾すると同時に灰を肥料とする農法である。近年、熱帯地域での人口増加により焼畑農業が過剰に行われるようになり、熱帯雨林の回復限度を超えた開拓が問題視されている。熱帯地域は土壌が薄く、植生がなくなると容易に母岩が露出してしまう。これによって土地が不毛化していくことは、湿潤な気候下における砂漠化であると言える。

北朝鮮では、伝統的な農法も科学的知識に基づく近代農法もまったく無視した、金日成の指示により実施された主体農法により土壌が著しく消耗し、生産力が完全に崩壊した農地も少なくない。これは人為的・政治的要因による砂漠化であると言える。

サハラ砂漠の南部では、焚き木用に潅木を伐採することが大きな原因とされている。

2009年04月05日

日本における関連法制度の改正

名称変更 [編集]
昭和23年公布の「保健婦助産婦看護婦法」においても、女子について「看護婦」として規定するとともに、男子である看護人については看護婦に関する規定を準用するとされていた(大正4年施行の看護婦規則でも、この点に関しては同様)。昭和43年法律第84号による改正で男子である看護人について「看護士」または「准看護士」と称することが規定された。

2002年3月からは、法律の題名が「保健師助産師看護師法」と改正されるとともに、男女関わりなく「看護師」または「准看護師」として規定されるように改正された。

2002年3月の上記名称変更に伴い、医療施設にて「看護婦長(婦長と略称)」、「看護士長」などと称されていた職位は、「看護師長(師長と略称)」[5] 、「看護係長」[6]、「看護長」[7][8] などと称されるようになった。

名称独占 [編集]
2006年の保健師助産師看護師法改正により、業務独占規定に加え、名称独占規定が設けられた(保健師助産師看護師法 第四十二条の三)。


保健師助産師の看護師国家試験合格要件 [編集]
保助看法第31条第2項により保健師及び助産師は(たとえ看護師免許を有しない場合でも)看護師業務を行うことができるとされている。これにより、看護大学の卒業生や保健師または助産師統合カリキュラムを学んだ者が、看護師国家試験に不合格であったにも関わらず、保健師国家試験や助産師国家試験に合格し、看護師業務を実施可能なことは、医療安全上、患者に対する正しい情報提供の面でも問題視された。 これを受けて2006年6月の第164回国会(通常国会)において保健師助産師看護師法が改正され、法律が施行される2007年4月以降に、新たに保健師・助産師の各国家試験の免許を取得する者については、看護師国家試験合格が免許付与の要件となった(保助看法第7条)。

行政処分者の再教育 [編集]
2006年の保健師助産師看護師法改正により、戒告、3年以上の業務停止、免許の取り消しの処分を受けた者、再免許を受けようとする者は、保健師等再教育研修受講が義務付けられた。

日本における看護師数 [編集]
日本国内で平成18年末に就業している看護師数は約81万2千人で平成16年比6.8%、平成14年比15.4%増加し、准看護師数は約38万2千人で平成16年比1.0%、平成14年比2.9%減少している。また男性の占める割合は看護師で4.7%、准看護師で6.1%と増加傾向にある[9][10]。

平成16年現在でのOECD各国との比較では、日本では人口1000人あたり9人の看護職(准看護師を含む)が就業しており、OECD平均の8.6人をやや上回っている[11](但し、国により若干数値が意味する範囲が異なる)が、医療や介護を多く必要とする高齢者の割合がOECD各国と比べても極めて高いことや、比較的高度な医療を提供していることを考慮すると十分とはいえず、実態として「看護師不足」の声が上がっている。

日本国外からの看護師受け入れ [編集]
日本とフィリピンとの自由貿易協定(FTA)経済連携協定(EPA)で、フィリピン共和国国家資格の看護師を日本の医療機関への受け入れの方向で合意された。フィリピン人看護師を受け入れるに当り、日本語が話せる等日本の事情に精通する事を条件にし、また厚生労働省は受け入れ条件の1つとして人数の上限を設けた。調印は2006年9月9日に行われるも、フィリピン側の批准が遅れており、2009年度以降にずれ込む予定。人数枠は2年間で合計1,000人(看護師400人、介護福祉士600人)。

日本とインドネシアとの経済連携協定(EPA)の調印が2007年8月20日に行われ、日本の国家資格の取得のための必要な知識及び技術の習得を目的とした看護師候補者の受け入れ、資格取得後の就労が可能となった。2008年4月17日の衆議院本会議で可決。同年7月に看護師候補者200人、介護士候補者300人が入国する見通し。EPAを活用して外国人労働力を受け入れる初めての事例となる予定。[12]人数枠は2008年度から2年間で合計1,000人(看護師候補者400人、介護福祉士候補者600人)。

看護師の発展に寄与した人物 [編集]
フローレンス・ナイチンゲール - 近代看護の生みの親。彼女の実名、代名詞である「ナイチンゲール」、「白衣の天使」は看護師の代名詞ともなっている。
ヴァージニア・ヘンダーソン ? 看護教育の指導者として知られている。

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2009年03月21日

等級制廃止後JR化ま

1969年(昭和44年)等級制廃止により、従来の1等寝台をA寝台、2等寝台をB寝台と呼称するようになる。また、従来の1等寝台車の等級は廃止され、「ルーメット」にのみ適用する「個室」と上下段による区別となった。

その後、特急用として製造された14系寝台車では編成の自由度と輸送力を重視したことから、A寝台になる「オロネ14形」や、3段式B寝台車とともに製造された24系24形までの新製車「オロネ24形」についても開放式寝台のみを製作した。なお、これらは開放式A寝台車はレール方向に寝台を並べる「プルマン式」を採用したため、車両の中央に通路が設けられている。
セッサカー リネーム ソテー トラック きょうお チップ ゴブラン サンファ デリバリー プレー スパンキ ラシン カーレース シリコンウ リテーラー フォワ フラン アデニ ジャケット コスミド クロロ いいだこ ニポポ あしべつ ファゴット トニア ソックス スンニ ロジカル ほうゆう むろね ヒッピー バックホ リラックス せれべす かばん ライ麦 ツアー わらぐつ チャクラ カード キミと僕 ハーフマラ ももいろ コータロウ スンダ 恋模様 ターボ カゼイン メルシ

ただし、1970年代後半より1980年代前半にかけて、寝台料金の上昇による利用率の減少や車両の老朽化から、開放式寝台は急行列車をはじめとして連結を終了する事例も出てきたうえ、2段式寝台で製作された24系25形客車への特急列車の車種変更で、特急列車でも連結を行わない事例が増えてきた。

そのため、個室寝台車として久々に新製されたのは1976年(昭和51年)の24系客車に属する「オロネ25形」である。

個室寝台車は20系客車以降製作されなかった上、運用がごく限られたものであったが、同車は2段式寝台で製作されたB寝台車に対して、A寝台を個室とすることでこのクラスの品質を確保する意図があったとされる。寝台を枕木方向に配置し、片側通路とした1人用個室寝台車である。後にこの個室は、後年改造によって登場したものとともに、「シングルデラックス(DX)」と名付けられた。

この新製車による初期の「シングルデラックス」は、当初より東京駅発着の九州特急の25形使用列車「はやぶさ」、「富士」、「あさかぜ1・4号」および、車両を共通で運用していた「出雲」に使用され、ほぼ原形を保ちながら2009年まで運行の「はやぶさ」・「富士」に連結されていた。

JR化以降の展開 [編集]
1980年代中盤以降、とりわけJR分社化後に有力な資源とされた寝台列車の利用促進のため、寝台車の個室化が進行する。A寝台の場合、JR分社化を目前にした1987年に登場した「ツインデラックス(DX)」と、「あさかぜ1・4号」、「出雲1・4号」用の「シングルデラックス」の改修が緒となる。なお、前者は「北斗星」となる「青函ブルトレ」用として改造されたものを「ゆうづる」に連結して運用を開始した。

また、1人用A寝台「シングルデラックス」は従来開放式B寝台のみないし開放式A寝台連結列車への設定が進んだ。その際、改造の種類により原型の片廊下式の個室のほか、上下の寝台の位置を半分ずつずらし、上段寝室内に階段を設け2層式としたものや、中央に廊下を配したものも現れている。なお、1998年に新造された285系寝台電車でも同様の名で最新型個室が登場している。

なお、2008年(平成20年)3月15日現在、開放型A寝台を連結しているのは、寝台特急「日本海」(2008年3月のダイヤ改正以前では「日本海3・2号」)及び急行「きたぐに」のみである。2008年3月のダイヤ改正で廃止された寝台急行「銀河」にも連結されていた。

a個室A寝台 [編集]
先述の通り、A寝台においては戦後も個室寝台車が設置されてきたが、数は少なく、国鉄時代は開放式が主流であった。

その後、プライバシーの重視と居住性の改善の見地から、寝台車の個室化が進展した。国鉄民営化後には、寝台特急「北斗星」における豪華個室「ロイヤル」の設定、さらに北海道直通の寝台特急「トワイライトエクスプレス」では、セミダブルベッドの二つ配置や、トイレ・シャワールームの設置など、質の高いサービスを提供し、ブランドイメージの構築に成功している。

またJR東日本で試作された夢空間では、オロネ25 901「デラックススリーパー」においてバスルーム付きの個室が3室のみ設定された。2室が設定された「スーペリアツイン」の料金は、「トワイライトエクスプレス」のスイートや、後のカシオペアにおける「カシオペアスイート」と同額である。また最上級個室である「エクセレントスイート」は、居間と寝室の間に扉があり、一般的なホテルにおけるスイートルームの概念に近い間取りである。一室67320円と、スイート等より高額な料金が話題となったが、2008年の夢空間編成の廃車とともに廃止された。

これを更に推し進めた寝台特急「カシオペア」で使用されているE26系客車では、個室A寝台車のみで編成を組むという試みを行っている。

個室の施錠方式は、個室B寝台と同じく鍵・錠前によるものと暗証番号を入力する方式がある。

名称 [編集]
時刻表等では「A」と表示される通常タイプのものと、「SA」と表示される特別タイプのものに分かれる。

また、同じ「SA」でも「ロイヤル」、「カシオペアデラックス(ロイヤル2人分の値段)」と、「スイート」「カシオペアスイート」では料金体系が分かれる。

それぞれ、以下の名称が与えられている。なお、SA2に該当する個室で定期運用のものは現在まで一度も存在していない。

2009年03月06日

陣形とは艦隊が取る隊形であり

陣形とは艦隊が取る隊形であり、基準艦の艦位を基準として各艦を一定の配置に占位させる。陣形は陣形の列数、形状、正面、間隔、序位及び旗艦の配置から構成される。

列数には正面に対して一列あるいは複数列に占位するものがあり、正面の幅から縦列、横列、梯列がある。例えば最も基本的な陣形に進行方向に向かって縦一列で並ぶ単縦陣があり、これは最も柔軟に運動が可能な陣形である。さらに航行序列としてしばしば用いられる二列に並列した複縦陣、縦陣から各艦が前方の艦の右または左後方に斜めで並ぶ梯陣、進行方向に向かって横一列で並ぶ横陣も基本的な戦闘陣形として挙げることが出来る。歴史的に見れば、横陣から火砲の導入により縦陣、海上護衛戦では方陣、航空母艦の登場により主隊を中心に円周上に直衛を占位させた輪形陣などが見られる。

航空母艦の登場によって先述した輪形陣は一般的に用いられている。これは空母を中心として前後両翼に戦闘艦艇を配置する陣形として使用されており、北大西洋条約機構における海上作戦の教範類においても輪形陣を基本的な陣形として採用している。

戦闘行動
運動
運動とは各艦の速力と回転力に基づいた戦術的な機動であり、海戦術においては艦隊の陣形を維持しながら前進、後退、回転することであり、戦闘において最も優位な位置を占めるようにする戦闘行動である。艦艇の速力とは推進機関による前後方向への運動能力であり、全速、原速、半速、微速の段階がある。回転力とは舵角によって生じる艦艇の左右方向への運動能力である。この速力と回転力を用いて艦隊を運動させる一定の方法を運動法と言う。

運動法には大別して行進及び停止、速力変換及び距離変換、一斉回頭、正面変換、陣形変換がある。最も基本的な運動法は行進及び停止である。これは艦隊の前後方向に対して速力で運動するものである。また速力変換及び距離変換も基本的な運動法として挙げられ、これは艦隊の伸縮を変更する運動法である。正面変換とは一斉回頭によって陣形の正面を変更する運動法であり、正面を斜めに変更する斜行進、側面に変更する側面行進、背面に変更する転廻がある。

これらの運動法を駆使して海上作戦において艦隊の陣形や位置を戦闘に優位に運用する。応用的な運動法として乙字運動などがある。乙字運動とは一般的に要警戒海域における警戒や戦場における回避行動として用いられる運動であり、進行方向を左右斜めに切り替える。また縦陣から一斉回頭して横陣に変更し、続いて一斉攻撃を行う運動もある。

攻撃
攻撃とは海戦術においては主に火砲・魚雷・ミサイルなどの砲戦・魚雷戦の手段を以って、機動と併せて行われる。海戦においては攻撃の原則としては先制・奇襲・特定目標への一斉射撃が考えられている。これは海戦において攻撃を回避・無力化することが非常に困難であり、また戦闘単位が限定されて一つの攻撃が成功した戦果は即座に戦勢を大きく左右し得るためである。一斉に特定の目標に攻撃することの意義とは有する最大限の火力を以って攻撃の成果を確実に獲得するためである。

防御
攻撃への防御は艦艇の構造や装備などによって異なる。基本的に艦艇の防護は敵の索敵に対するステルス性や静粛性などの能力を含む構造は防御力の基本要素である。また電子戦能力、ミサイル戦能力、損害が発生した場合の応急工作能力も防御において発揮される。[9]

戦務
戦務とは戦術を実施するための諸業務である。

索敵
敵の現在位置を精確に探知する索敵は、現代においてはレーダー、人工衛星、航空機、潜水艦、陸地の情報機関、海底に設置されている音響探知センサーなどが大きく貢献している。索敵は洋上監視、哨戒、電子戦などによって行われる。索敵によって的確な戦術情報を多く収集して分析することで、初動の優位性を得ることができる。索敵能力の優劣は位置情報の有無に直接的に繋がるため、続く攻撃の成否に大きく関わる。航空母艦は航空機を搭載していることから一般的に索敵能力が極めて高く、かつ高度な打撃力を有している。

海上封鎖
海上封鎖とは海上戦力によって敵の沿岸所定区域につながる海上交通を途絶させる作戦行動である。これには平時封鎖と戦時封鎖があるが、戦時封鎖では戦時国際法(1909年の海戦法規に関するロンドン宣言)の海戦法規に基づいて第三国の船舶であっても封鎖を犯すことはできず、捕獲される。平時封鎖ではこの限りではないが、国籍を確認するための臨検は可能である。海上封鎖は法的な行為でもあるために中立国の船舶に対して違法性を問うためには一定の手続きを要する。封鎖は交戦国の政府か海上封鎖部隊の指揮官により宣言され、しかもその海上封鎖は実力を伴って継続的に実施され、かつ全ての船舶に対して等しく行われることが必要である。その事例としては第二次世界大戦においてイギリスはドイツの全面封鎖に対抗して1939年11月と1940年7月に中立国の船舶とその貨物を捕獲、没収する措置を宣言している。
ルント シャイ インタン トラム バプ 冬の枝 ハニー はしかみ スタッ ロルプロ トザウルス マリオ ロール ライカ カースト 花月 フェンシ モリブデン マジック おんかま シッキ サンドバ ニング ワラント サウスポー ミール きんしゃ ブランチ プロジ タッグ れんおん シルク チャカレ ヒュンダ くわのじつ ストラ 空を見 シャー リチャ 黄砂 オープン オリンズ ジブチ わどまり あずきいろ パリティ ビーフン コクト ひしがた バカラ

水陸両用作戦
水陸両用作戦とは海上戦力、陸上戦力(上陸部隊)、航空戦力が海上から敵が支配する沿岸に対して行う作戦行動であり、陸上における侵攻、海上・航空戦力の前進基地の確保、敵の後方へ上陸して他方面における陸上作戦の促進、敵戦力の撃滅などを目的として行う。水陸両用作戦は統合作戦であるために非常にその遂行は困難であるが、機動性と融通性の利点があり、特定の海岸地域に戦力を集中させることが可能である。しかしながら着上陸後にはこれを排除しようとする敵の高度な陣地防御を受ける危険性が高い。この水陸両用作戦を専門とする海軍部隊として海兵隊が設置されている場合もある。上陸作戦に特別に必要な海上戦力に揚陸用艦船がある。第二次世界大戦中に発展したもので、米国では揚陸指揮艦、揚陸輸送艦、高速輸送艦、戦車揚陸艦、歩兵揚陸艇などがあり、接岸能力に特化した艦艇である。戦例として第一次世界大戦のガリポリ作戦、オーバーロード作戦、太平洋戦争における数々の上陸作戦、朝鮮戦争での仁川上陸作戦などが挙げられる。陸海空の指揮と通信の統一、適切な上陸用の装備、制海権および航空優勢の確保、奇襲による電撃的な上陸が水陸両用作戦の成功要因であると考えられている。

2009年02月14日

ひまわりのチャペルできみと

ブランドによる公称ジャンルは「ラノベ風学生結婚ADV」。この「ラノベ風」というのは、近年の恋愛アドベンチャーゲームにしては珍しくキャラクターボイスが無い事、テキスト総容量が4.5MB超と、小説に匹敵する程の文章量であること、ラノベ的な世界観や設定が一部に使われていること等を総称して付けられたものと考えられる。シナリオは前二作と同様、「笑い」に比重が置かれており、終盤までは基本的にギャグの連発で軽快に進むが、分岐シナリオによっては家族愛や夫婦愛と言ったシリアスなストーリーが前面に出される事もあり、笑い一辺倒という訳ではない。システム面では「吉里吉里」を採用。これにより、独自のエンジンを使用していた「秋桜の空に」のように致命的なバグは存在しないが、カスタムミスによるものか、細かい所でバグが発生している。現在公式HPで修正パッチが配布されているが、修正パッチを適用しても全てのバグが解消されるわけではないので注意が必要である(パッチを当てないと7日目の選択肢から先へ進めないので要注意)。

本作の発売から程なくして発売されたシナリオ担当の竹井10日著「らき☆すた らき☆すた殺人事件」では柊姉妹が本作をプレイしており、作中で宣伝まで行われている。また初回版特典『ひまわりのチャペルできみとvs秋桜の空に』の背表紙や見返しには『らき☆すた殺人事件』と共通する部分が多い。なお『らき☆すた殺人事件』の作中にはマニュアルを読んでいて柊かがみが小雪のバストサイズに驚愕するシーンがあるが、実物のマニュアルではキャラクターの説明は掲載されていない
マリゴール ユーロシ 法則 プロキオ パティ フェンリル ロボコン プラン とうみ ドロン デザイナー ひかわ ウンギョー クロスバー デリシ 宿儺南瓜 フロアマ バナバ ぶどう ハツユ ァサード パイ セミダブル ミコロン スキャンダル ピザク トライアル ギンリ ビコル カデット ブレーン エイド ヒート フロアス エーエスピ シュリン くわい サイト冬瓜 紀州 レーシ うたしない ベジス ブック ノベル ジャル ワイフ ニュー フリ モラテオ はっとう

海上貴宏(うなかみ たかひろ)
主人公(名前は変更可能)。一ツ坂学園在籍で2年B組所属。前二作の主人公と同様、突飛な言動や行動が目立ち、シスコンである(本人は否定)。口癖は「ままならんなあ」。また、どうしようもない位に「カナヅチ」であり、水中では泳げないどころか沈んでしまう。学園内での騒動には大概顔を出しているのでちょっとした有名人になっている。家族構成は両親と姉。現在は寮生活で一人暮らし。
円澤小雪(つぶらざわ こゆき)
主人公と同い年で幼馴染。2年B組所属。主人公からは「こゆ吉」と呼ばれている。ボーイッシュな性格で運動が得意。その運動神経は学園内でもトップクラス。逆に勉強は不得手で、殆どの教科で赤点ラインを行ったり来たりしている。また、バスト101cmと物凄い巨乳の持ち主でもあるが、その事を主人公に度々茶化され、また運動には邪魔なせいか、コンプレックスになっている。口癖は「恐るべし、○○イズム」。好きな物は「駄菓子」。また、「スーパー歯の浮くモード」と呼ばれる謎の特殊技が使える。現在は寮生活で、月乃と萌波とで同じ部屋に住んでいる。
緒野田月乃(おのだ るなの)
主人公と同い年で幼馴染。2年B組所属。主人公からは「ナノ子」と呼ばれている。小雪とは逆に女の子らしい性格で運動は大の苦手。発育不良により129cm、30kgしかないが、健康面に問題は無い。が、体力面には不安がある。運動が苦手なのもそのため。トラブルメーカーな人物が多い中で唯一の常識人。その為、何かと暴走しがちな主人公達のブレーキ役になっている。口癖は語尾に「 ナノですーナノですーナノですー」とエコーをかけることで、周囲の人物から「セルフエコーかけんな」と、よく突っ込まれている。好きな物は(キュウリと蜂蜜を一緒に食べるとメロンの味がする、のように)食べ物と食べ物を混ぜて食べる、いわゆる「合成食物」。園芸部所属。
百寺雛梨(ももでら ひなり)
主人公とは一年後輩。1年E組所属。性格もよく、運動神経も抜群で学園内のアイドル的存在。更に、とある事情で世界的な有名人でもある。そのせいか、周囲からは浮いた存在になってしまっている。主人公達とも接点が無かったが、ちょっとしたきっかけによって主人公達と行動を共にすることが多くなる。何事にもポジティブな志向をもっている。現在は寮生活で一人暮らし。
藍善萌波(あいぜん もなみ)
主人公と同い年。2年B組所属。物語の序盤で主人公達の学園へ転校してくる。主人公からは「もなむー」と呼ばれている。生真面目で硬い性格であるが、主人公達の起こす騒動を止めるどころか参加する辺り、お茶目な面もある。他人を呼ぶ時は「貴宏卿」のように卿を付たり、古い言葉を多用したりと、古い軍人のような言い回しをする。また、周囲の人物に「大佐」、「元帥」といった、軍隊の階級を付ける不思議な癖がある。モデル並の体型で文武両道。更にカリスマ性も持ち合わせている完璧超人。早くも学園内で人気になっている。
鏡丘音々子(かがみおか ねねこ)
主人公の一年先輩。3年A組所属。主人公の実姉。主人公からは「ねねねえ」と呼ばれている。苗字が違うのはとある事情により養子に出された為。前二作の「ダダ甘」な姉キャラとは全く正反対な「ダダ甘え」キャラ。毎朝主人公に起こされたり、昼食をねだりにきたりと、その名の通り何かと主人公にダダ甘えてくるちょっと駄目な人。言うまでも無くブラコン(本人は否定)。ガキ大将がそのまま成長したような性格をしており、理不尽な我侭を言ったり、くだらない事を思いついては主人公達を巻き込んだりしている。その為、主人公と並んで有名人。口癖は「○○ばっかりムキー!」。「月刊姉弟愛」愛読者でもある。現在は寮生活で一人暮らし。
本宮エステリア・ディノラード(ほんぐうえすてりあ でぃのらーど)
主人公と同い年。2年B組所属。主人公からは「姫」と呼ばれている。名前の通り外国人で、ディノラード王国の王女であるが、やむなき事情により現在は一ツ坂学園に通い、寮生活で一人暮らしをしている。王女らしく尊大で若干我侭な性格をしているが、度が過ぎると主人公からアイアンクローの制裁が下り、つい謝ってしまう。自分の事を「妾(わらわ)」と呼び、語尾に「?じゃ」を付ける等、武家の女性が使っていた古い言い回しをする。また、「テレビ東方でアニメ以外の番組だけを見る刑」等、変な刑罰を考えるのが好きで、主人公からぞんざいに扱われた時によく宣告している。が、今のところ実行された事は無い。頭につけているティアラはディノラード王国の国宝である。

サブキャラクター
仁時一紗香(にどき いちさか)
一ツ坂学園の屋上で良く出会う不思議な少女。主人公からは「いっちゃん」と呼ばれている。主人公とは複雑な因縁を持つ。物語中、悩んでいたり落ち込んでいたりする主人公に度々アドバイスをしてくれる。普段は標準語だが、突っ込むときに限りエセ関西弁になる。
海上唯菜(うなかみ ゆいな)
主人公の母親。子持ちには見えない程若く見え、超絶的な天然と突飛な言動の持ち主。家族とも会話が全く噛み合わない事もしばしば。普段は感じられないが、母親らしい一面も持っており、主人公達の事を温かく見守ってくれている。
海上柚太朗(うなかみ ゆたろう)
主人公の父親。母親同様、子持ちには見えない程若い姿をしている。意外としっかりとした性格をしており、父親として海上家を支えている。が、主人公とのスキンシップに頬を赤く染め、恥じらったりする謎な一面も。美容室「Vierge(ヴィエルジュ)」の店長で、カリスマ美容師として名を馳せている。
志豆機環(しずはた たまき)
2年B組所属で委員長を務めている。主人公からは「猫タマ」と呼ばれている。真面目な性格で三つ編み、眼鏡という、いかにもな委員長キャラであるが、面倒見が良く、融通も利く。度々主人公達が起こす騒動に巻き込まれている。驚いた時やパニックになった時は、語尾に「ニャ」を付けたりして猫っぽくなる。
坂東翔羅(ばんどう しょうら)
2年B組所属。主人公からは「ショーちゃん」と呼ばれている。いわゆるスケバンな不良少女で、周囲からは恐れられている。「夜露死苦」や「固羅」などのヤンキー語を使い、遅刻とサボりの常習犯であるが、登校したら真面目に勉強していたり、精神的に打たれ弱く涙もろい面があったりと、いまいち不良になりきれていない部分もある。音々子とは中学時代からの友人であるが、一年留年しているので学年が違う。
ルーンベルベット・張(るーんべるべっと・ちょう)
2年B組の担任。香港系アメリカ人。担当教科は歴史と英語。また、シスターでもある。主人公達よりも遥かに年下にもかかわらず、飛び級しまくって既に大学を卒業済みの超天才児。実質年下であるせいか、生徒達の事を呼ぶ時は、必ず「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」を付ける。栗が好物。Marronの作品には必ず栗が好きな人物がいる。
張摩邇手(ちょうまじで)
2年B組所属でルーンベルベット・張の兄。主人公からは「マジぽん」と呼ばれている。若くしてマネーゲームを始めて大成功を収め、ウォール街の覇者と呼ばれていたが、現在は一線を退き一ツ坂学園に通っている。既に社会人として成功し、勉学に励む必要が無いにも関わらず学園に通っているのは、妹に付き合うためと、歳相応の生活を送りたかった為、らしい。何かと主人公を買っている節があり、妹のルーン先生と結婚させようと目論む。口癖は「YOU、○○しちゃいなよ」。お金に関する事意外は無能である。
猫大帝(ねこたいてい)
2年B組に度々現れる謎の人物。2年B組の生徒ではないにも関わらず普通に授業を受けていたりしている。猫の着ぐるみを常に着ており、語尾に「ニャー」を付けたりと、非常に怪しい。実は殆どの人間が中の人の正体に気付いているが、敢えて誰も突っ込まずに放置している。
権田原天(ごんだわら そらり)
2年B組所属。放送部のエースで、とあるイベントの実況役を務める。貧乳であることに悩んでいる。実はお姉ちゃんの3乗に登場する権田原疾風とは従兄妹の関係。
野々宮美駿(ののみや みはや)
2年B組所属。自転車部副部長。とあるイベントの解説役を務める。頭に乗っているのはミニミニいるかのサフラワー・リノールさん。秋桜の空にに登場する野々宮美影とは従姉妹の関係。
鎌倉タケル(かまくら たける)
バッドエンド及び、シナリオの一部にのみ登場する、下ネタ好きのちょっと変な人。

2009年01月28日

第二次アキャブ作戦

第二次アキャブ作戦(ハ号作戦)とは、1944年(昭和19年)2月に行なわれた日本陸軍による作戦。ビルマ西部海岸にある都市・アキャブを進発し、インド国境付近にあるビルマ・マウンドオ近辺の英印軍部隊の殲滅を目指した。作戦目的としてもう一つ、アキャブ北方にあるインパールの英印軍を牽制する目的もあり、インパール作戦の支作戦としての性質を持っていた。
リティ ハーフタイ ラサSEO ナビみさわ プローブ いきな オストミー ゼロワン フェイ ユータ メイス ドッグレ オール のんき フィジー ソニア ジューサ トハギ コート ナーグプ ちょくん ロイヤ フラック カスタマー ポンチ 影ふみ ニップル ハンブル 時代屋 ドッキン オンフ タウン むほん ブロード ジルサン パレタイ セリュ すぺあ トレッド ディベー ディーズ フラワー レジャ フォーマ シランレン メゾン お手玉 デモクラシ 竹てっぽ ダボス

経緯
ビルマ西部アキャブ地方に位置するアキャブはビルマ防衛の要となる飛行場、港湾があり、インド東端の英印軍二大拠点、インパールとチッタゴンのうち、チッタゴンにも近く、日本軍の重要拠点になっていた。1944年1月9日、ビルマ領内にあるインド国境付近の町マウンドオが英印軍に占領され、その後の英印軍の漸進により日本勢力圏からアキャブへ通じる各ルートが英印軍の襲撃と重砲射撃にさらされ、とくに渡渉点(浅瀬や河港など)の安全の確保が難しくなった。ビルマ方面軍ではアキャブ防衛のために付近の英印軍を殲滅する必要が生じたと判断、また1944年1月7日にインパール作戦の実施が大本営により許可され、インパール作戦前の陽動作戦として、1944年1月11日に第55師団長の花谷正陸軍中将によりハ号作戦(第二次アキャブ作戦)の計画準備が命令される。計画準備命令に従い、本作戦は、第7飛行師団の協力と第55師団第55歩兵団(桜兵団)を主力として計画された。中でも隷下の歩兵第112連隊(善通寺連隊・連隊長は棚橋真作大佐)は、三十一号作戦(第一次アキャブ作戦)で電撃的奇襲戦術により敵一個旅団包囲殲滅、一個師団撃破の殊勲に輝く精鋭であり、かけられた期待も大きく、日本軍の一部では桜井第五十五歩兵団長(少将)のようにチッタゴン侵攻を公言する者までいたという。

一方英印軍は、三十一号作戦による激甚なる損害から立ち直りつつあった。アラカン地方において北部山岳地域では陸路によるいわゆる援蒋ルート打通のための作戦準備を進行。これは輸送機での昆明への空輸作戦が日本の第7飛行師団の戦闘機隊と偵察機の連携による北部ビルマ山岳上空での迎撃=「辻斬り」による損害をこうむり、安定した成果が望めない状況にあることを受けて準備されていた。

アラカン南部のベンガル湾沿岸では、まず海軍が日本軍の小型舟艇の海上活動を封殺しつつ沿岸の日本軍拠点を攻撃。遠浅な海域でもあり大規模な上陸作戦にこそ到らなかったものの、アキャブの港湾機能をマヒに追い込む。一方、チッタゴンには対ビルマ攻勢に向けての準備のために多数の輸送用舟艇が集結しつつあった。

ハ号作戦はこのような状況の中計画され、第三十一号作戦の再現により沿海部や海路からの英印軍の反撃企図の覆滅をも狙ったものである。

作戦経過
 日本軍は制空権こそ無かったものの、作戦開始早々に各地で英印軍を包囲。勝利は確実と思われたが、英印側の行動は全て予定されたものだった。主戦線は内陸部のスインズウェワ付近で膠着。通称「アドミン・ボックス(管理箱。日本側呼称円筒陣地、もしくは立体陣地)」と呼ばれた密集陣を展開し、包囲されたまま空輸による補給、増援を受け頑強に抵抗するイギリス軍に対し、日本軍は散発的な攻撃の繰り返しで損害が累積。花谷正師団長、桜井歩兵団長ら上層司令部もなんら有効な策を打ち出せぬまま隷下部隊の指揮官たちに自決を強要するといった苛烈な督戦を繰り返すのみで、やみくもに出血を強いた。

結果
作戦の中核であった棚橋連隊の戦線は崩壊、英軍の物資を奪取することを前提にしていたため、たった4日分しかない携行食糧を消費すると補給は途絶し、更に空軍、海岸部では海軍の手厚い支援を得た英印軍の前に、日本軍は各地で戦線を維持できなくなった。棚橋連隊長は、無謀な突撃を命じる花谷正師団長との無線を封止した上で、「これ以上、天皇の赤子を殺すに忍びず」と生き残った部下400名に独断で撤退を命令。花谷は激怒したが2月26日に作戦中止を追認、第一次作戦とは全く逆の惨敗を喫した。

棚橋は4月11日に連隊長を解任され、大本営に花谷の狂気に満ちた作戦指導を報告したが、報告を受けた辻政信は「なぜ、シンゼイワで全滅しなかったのか。なぜ全員戦死しなかったのか」と詰問するだけで、杜撰な作戦について追求しようとはしなかった。戦後、棚橋連隊長は自決した。

この作戦と同様の事態が、本戦場のインパールではより大規模に展開され、大幅に戦力を失った日本軍はビルマでの防戦すらままならない立場に追い込まれていく。第二次アキャブ作戦の敗退は、日本軍が開戦から守ってきた東南アジア方面でのイニシアチブを自ら放棄する端緒となったのである。

第一次アキャブ作戦(だいいちじアキャブさくせん、英:First Arakan Campaign)は、太平洋戦争中期の1942年末頃から1943年4月までの約4ヶ月間、主に大日本帝国陸軍とイギリス陸軍のあいだで起こった戦闘である。三十一号作戦、第一次アラカン作戦とも呼ばれる。結果は日本軍側の勝利。

背景
日本軍は、1942年1月4日より、司令官・飯田祥二郎陸軍中将率いる第15軍 (日本軍)を用いて英領ビルマへの侵攻を開始させ、5月末にはビルマのほぼ全域を占領していた。しかし、同年冬頃より数々の戦闘において敗北が相次ぎ、日本の敗色が濃くなり始めたのと同時に、ビルマ方面でもアメリカ・イギリス・支那(中国)軍が反撃をしかけてきた。そんな緊張状態の中、第一次アキャブ作戦は、ビルマ西岸地区のアキャブ方面において1942年末頃から行われた。連合軍側は第2チンディット部隊を派遣し、北部ビルマの奪還を図った。

地理
アキャブ(英:Akyab、現在のシットウェー)は現ミャンマーのラカイン州の町で、ベンガル湾の沿岸付近、南緯20度・東経92度56分に位置する。中にカラダン川が通っていて、ベンガル湾沿岸に近く、インドとミャンマーの国境線付近である。

戦闘の経過
日本軍は桜井省三中将率いる第33師団を主力として1942年5月4日にアキャブ方面を全面的に制圧していた。1942年9月以降は、インドとビルマ西岸の国境付近に一個大隊を除く第55師団所属歩兵第213連隊主力(宮脇支隊)を配備するようになった。
しかし1942年末に、日本軍部隊に対してインド領内のイギリス軍の1個師団(第14インド師団)及び1個旅団基幹が攻撃を開始した。さっそく同連隊の基幹がこれを迎撃した後、アラカン山脈の反対側からあらかじめ基幹から分離してあった残りの一個大隊が基幹に加わり、南北方向から英軍部隊を挟み撃ちした。さらにとどめとして、第55師団部隊がベンガル湾から上陸した陸戦部隊などをもって支援した結果、英軍旅団長を捕獲・捕虜としたうえ英軍側に甚大な被害を与えて日本軍側が圧勝した。

損害と戦果
日本軍側の戦死者数は61名、戦傷者数は1165名。対して英軍側は、遺棄死体4770名、捕虜480名である。さらに日本側は戦車・装甲車40両及び自動車73両の捕獲に成功した。